1715年、日露戦争で乃木大将とロシアのステッセル将軍が会見したことで有名な水師営が旅順に設置されました。
1879年清国政府は北方の守りをかためるため、旅順軍港の建設に着手。1894年7月25日、日清戦争が勃発します。
翌1895年4月17日「下関条約」により戦争は終結します。中国側の資料によると、戦時下日本軍は旅順市民2万人
を殺害したということです。1904年2月8日、日露戦争が勃発します。この戦争は、翌年の「ポーツマス条約」にて終結
しますが、日本はロシアより旅順、大連の租借権を引き継いだほか、長春から旅順までの鉄道およびその沿線を日本の
権益下に置くこととなりました。終戦後1945年11月8日、大連市政府が正式に成立し、以後旅順市政府が相次いで成立
します。1949年には中華人民共和国が成立。1981年旅大市から大連市に改名されました。旅順は1996年7月に部分
解放され、一部の解放地区には自由に出入りできるようになりました。−−−−−−−(大連に暮らす/ジェトロ より)
 
 
1996年に一部対外開放された旅順ですが、現在立ち入る事のできる名所・旧跡は203高地と水師営だけです。ただし、
花見のシーズンには、桜の名所である「龍王塘水庫」が対外開放されるとの事です。
旅順観光には必ずホテルや旅行会社を通して行った方がトラブルに合わないためにも良いようです。私の場合はホテル
のタクシーを利用しました。半日貸し切りで300元、一人あたり60元(約1000円。何人乗ったのだ)と安い観光でした。
 
203高地

1904年〜1905年の日露戦争で戦われた場所です。乃木将軍によって作られた
弾丸型の記念碑や石碑があります。また、1500本の桜がある桜花公園もあります。
水師営会見所

ロシア軍の降伏で終了した日露戦争ですが、両国の代表である乃木将軍とステッセル
将軍が会見した場所です。当時の様子を写真で見ることができます。なお、この建物
は最近復元されたものです。入場料40元(高いので入るのを止めようと言っている内に
半額に値切ってくれました)

 
中国語・文化センター

旅順の「大連交通大学 情報システム学院 中国語・文化センター」。旅順郊外の旅順
経済開発区にあります。周辺はソフトウエアー関連の大学が集まっています。
日本人シニアをメインに中国語の他太極拳、書画、二胡などを学んでいます。また、
年2回の旅行は楽しみの一つです。ロングステイに最適。

中国語・文化センターの詳細はこちら



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